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おまえらのじいちゃんの戦争の話おしえて 

1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 22:55:03.84 ID:SgphYhr+0
俺のじいちゃんは、最終階級が曹長。
詳しくは死んでしまったので知らないが
満州駐在で、機関銃士だった。
部下と機銃をバトンタッチした瞬間、その部下がヘッドショットくらって死んだ。
じいちゃんは、足に鉛玉1発もらったが、命に別条はなく
敗戦しシベリアで捕虜になったあと生還。その数年後オレの母親を生む。



11 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 22:58:32.06 ID:/dN5vcdYO
>>1の爺ちゃんは母ちゃんを産んだのか



10 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 22:58:28.24 ID:lvVoBdUJ0
俺のじいちゃんはジャングルで迷い一人で寂しくうんこしてたら後ろで米兵もうんこしてた
驚いてズボン刷り下げたまま逃げた。米兵も逃げてた




16 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:02:02.71 ID:FCHaHGbX0
田舎だから紙が来なかったwwwww隣のじいちゃんは特攻寸前で終了wwww
ラッキーwwwwwww
それで戦争終了後の荒んだ時を懸命に生きたとか痺れるねえ




17 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:03:28.57 ID:SgphYhr+0
>>16
紙が来なかったとはいえ
当時戦争に参加しなかった男性は肩身が狭かったろうに




18 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:10:32.88 ID:FCHaHGbX0
>>17
疎開先的な所だったから狭くはないんじゃねえの?
ラッキー言ってたし




19 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:15:30.02 ID:KLWE1zjc0
うちのじいさんは輜重兵(補給部隊と思ってくれ)だったけど外地には行かず終戦。
輜重兵はけっこう馬鹿にされたらしい。
日本軍が兵站でつまづくわけだよな




20 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:16:42.55 ID:m+WycR4gO
うちのじいちゃんも満州にいたよ。金が無いから、国が金出してくれる満州大学に行ってたらしい。
2年次に繰り上げ卒業で徴兵され、ロシア語専攻してたから通信兵になってロシアの通信を聞いてたらしいんだ。
が、2年から専攻しはじめたろくろく習ってないロシア語の知識じゃ、糞の役にも立たなかったって言ってた。
その後シベリアに連れて行かれたけど、初期に盲腸にかかって送り返されたらしいよ。
シベリアの思い出は、ボットン便所の糞が瞬時に凍って逆氷柱になって便器から突き出してるから、一々ハンマーで叩き壊さないと糞が出来なかったそうだ。
あと、臭いが一切無い世界で、塩スープは味が無いそうな。
一緒に連れてかれた人は誰も帰って来なかったらしいから、うちのじいちゃん運が良いよ。



23 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:20:41.94 ID:lHuM7Eak0
曾々祖父が中将。でっかい墓がある。
苗字が地名になっとる



24 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:23:47.78 ID:GgJcPlTl0
空襲の嵐で
最後に、牡丹餅がくいてぇって爺さんがボソって言ったら
婆さんが無言で作り出した
って言う話だけは聞いたことある



25 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:23:58.70 ID:pPsX/KMvO
前にも似たスレで書いたが

祖父は旧東京帝国大学文化二類卒業後海軍少尉に
しかし決戦の日を前にして高熱を出し出陣せず
結局出撃したその船はアメリカ軍戦闘機の猛攻を受け猛爆、轟沈した
戦後は十条製紙だった

祖父の兄は東京芸術大学建築科を卒業して陸軍へ
生きて帰ってきてコルビジェの弟子になった

友達の祖父は大和の護衛艦のラッパ吹きで間違った合図をしてしまい大和と一緒に
沈められた。で、その人は軍港まで泳いできた



26 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:24:04.85 ID:ZR8uFUn70
うちのじいちゃんは中国にいたらしい。
現地のとうもろこしを畑から盗んで食べて、「今思うと悪いことしたなぁ」って言ってた。
跳弾にあたって仲間が死んだ話とか、自分の小隊から脱走兵が出た話とか
銃剣術の大会で中隊長に褒められた話とか、少年兵の時は苛められたとかも言ってた。
特攻隊に志願したけど雨で延期になって結局飛ばずにすんだらしい。



28 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:28:09.61 ID:az1yJOPvO
家のじいちゃんは赤紙が終戦日に届いて戦争行かなかった

ただ死体片付けに行ったって言ってた。多分広島とかに
地獄絵図だったって言ってた



29 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:37:47.73 ID:sN6o0YDrO
うちの爺ちゃんはまだ子供だったから戦場へは行ってないらしいけど
空襲の時、防空壕から友達と外を眺めてたら隣にいた友達が「ふっ」って言って転がってったんだって。
左肩から右脇腹に弾が抜けて即死してたらしい。
あと近所の工場の社長が本土決戦に備えて日本刀の使い方を教えてやるって言って、野良犬の首をスパッとはねたらしい。
んで爺ちゃんもやらされたらしいけど切れなかったって。

父方の爺ちゃんはあんま話したことないからわからん



30 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:38:54.63 ID:iSKC8Phl0
海軍で調理師やってたらしいけど・・・レシピに書いてあったカレーが作ってみたらすっげえ美味かった



31 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:39:27.14 ID:LAkPVy1E0
ばーちゃんは闇米を買いに行ったとき、憲兵の目をごまかすために娘をおんぶして
自分の背中と娘の間に米を隠したって言ってた。田舎だったから闇市までは一昼夜歩き通しだったらしい。
じーちゃんは外地には行かなかったが、よく俺に敬礼の仕方教えてくれたなぁ・・・

そんなじーちゃんも今じゃすっかりボケちまって俺の顔もわからないが・・・・



32 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:45:05.65 ID:Qg0iaP840
マレーでアメリカ兵が捨ててった練乳の缶詰が一生食った中で一番上手いもんだったと
そんでその瞬間に「日本負けるわ」と内心思ったらしい
あと自分の後ろ歩いていた兵隊が気がついたら虎にさらわれてたりしたそうな
マラリアになって野戦病院で終戦



33 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:46:40.64 ID:CNi9FuLu0
戦争体験とはちょっと違うかも知れないが、うちのじいちゃんは戦艦大和を間近で見たと言ってた
大砲がすごくでかくて入れそうに見えたって聞いたな
徴兵されて軍港にいたんだと思うんだけど、甲板に上がったのかは聞いてなかったから不明



37 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:52:24.29 ID:l9CjJNTTO
父方の祖父は満州で農場経営やってたら召集されて、
陸軍中野学校で暗号通信の教育受けてた
45年9月から中国へ配属される予定だったが、その前に終戦


母方の祖父は召集されて南太平洋のトラック島守備隊として出征
米軍の爆撃に耐えながら、補給の無い島でサバイバル生活していたら
いつの間にか終戦
生き残りの隊員と一緒に引き揚げてきた



43 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:58:15.61 ID:/Rt+xdnsO
うちのじいちゃんは飛行場で航空機整備してたとき撃たれて今も背中に弾痕?がある

ちなみに沖縄県民



44 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:59:27.96 ID:Qg0iaP840
父方の婆ちゃんは徴用で浅草行って飛行機の部品作ってたらしいんだけど
母親(つまり俺の曾祖母)が3月8日死んで里帰りしてる最中に東京大空襲になって
命拾いした、一緒に働いてた娘は殆ど死んだそうな
母方の婆ちゃんは相変わらず田んぼ耕してたらしいww



45 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:59:32.27 ID:iSBaeUvuO
うちのじいちゃんに赤札がきたとき婆ちゃんは泣きながらごちそう作ったらしい

じいちゃんは俺が生まれた年に死んだ。
婆ちゃんいわく良い男だったらしい



46 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/10(月) 23:59:54.47 ID:X5UoI2SlO
何だっけ、機雷の除去部隊の隊長までいって、死んじゃって
特進かなんかで大佐までいったらしい。
なんか第二次世界大戦のえらい人を書いてる本にちょろっとだけ出てる。



49 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:01:29.33 ID:IQzPuu7L0
初陣で流れ弾にあたり即退場

ダメな血は受け継がれてるようだ



50 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:01:45.17 ID:+xMINSDgO
うちのじいちゃんはかなりの良家の出だったらしく前線に行かず
内地で新兵の指導をしたらしい



52 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:03:11.76 ID:RMjfOeBK0
うちの父方のじいちゃんは、病弱で戦地にいかなかった
母方のじいちゃんは戦士した。玉砕。ばあちゃんも母も産んですぐになくなったそうだ。
うちのカーちゃんは両親を知らずに育った・・・・・かわいそう。



54 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:08:21.70 ID:xZdTb0msO
赤紙来ても逃げまくったらしい
京都に隠れていたんだと

おかげで俺も逃げまくりの人生です



55 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:09:26.92 ID:1XWMjoQ80
潜水艦の艦長で、黄海で駆逐艦にやられて戦死。昇進して大佐




56 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:10:02.84 ID:RWogkvhEO
特攻隊だったが、敵艦が見当たらず
帰還命令が出て
途中でギリギリで引き返した奇跡の男



70 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:18:34.53 ID:+xMINSDgO
知り合いのじーさんは常に敵地の最前線で戦ったスゴい人だったらしい
軍曹で体に機関銃で六ヶ所、銃剣で右胸と右手に貫通創
手榴弾片が左足にまだ残っている
アメリカのカービン銃が使いやすくて好きだったらしい
三八式なら100m以内絶対当てられる自信があるとか
ピストルだと10mでも当たるかわからんねだそうで

今でもアメリカ人を見ると殺意が沸くとか
戦友が死ぬのは親が死ぬより悲しいとか
シベリアではたばこを吸うとき唇に張り付いて血塗れになりながら吸ってたらしい



71 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:20:39.25 ID:u0rV4Idb0
プサンと日本を行き来してたらしい。職務は無線。
ほとんどの船は敵潜にやられたとか。
沈没したら、鮫にやられないよう、赤フンひろげて泳いだらしい笑



75 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:25:43.26 ID:ZfuIB8//0
>>71
サメは自分より大きい物には襲ってこないらしいな

南方で戦ってたパイロットもフカ除けの長い布切れを持っていたらしい




72 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:23:09.60 ID:UIlKjbrz0
じいちゃんの部隊の代わりに突撃した部隊が全滅
じいちゃんの部隊が突撃しなくて済んだ理由が下痢の集団感染




82 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:39:59.77 ID:uVfNYWEzO
俺の爺さんはガダルカナル島で戦死した
軍医で最終階級が遺影になった写真の襟章を見ると中尉だったらしい
その嫁だった婆さんが死んだときに、戸籍の写しを見る機会があったんだが、戦死した時の状況が詳しく書かれてた
玉砕したって聞いていたんだが、ちゃんと報告してくれてた人が居たんだな…
遺骨はまだ帰ってきてない。いつか現地に行ってみたいな




84 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:44:29.05 ID:45tU9rwt0
うちのじいちゃんはフィリピンだかマニラだかに行ってたらしく
現地の捕虜を銃殺する命令が下されて日本兵が一人ずつ順番に
撃っていくらしいんだけどみんなが撃っていってついにじいちゃんの番
じいちゃんは「私にはできません」と銃殺を断ったそうだ
上官にはたたかれたりと怒られたみたいだがそれでも殺しはしたくなかったとか
戦争って辛いねいろいろ 余談だが戦闘中敵兵の銃を手首に何発かくらったらしい
じいちゃんは戦争にいっても多分一人も殺さずなんとなく戦ってる感じで
やりすごしたんだろうな これはきっと賛否両論だろうな




87 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:47:09.40 ID:/npXSGmGO
ウチの爺ちゃんがあと10人いたらアメリカは負けていた



90 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:49:10.07 ID:TkbvMng00
>>87
お前のじいちゃん戦局左右させすぎだろww




92 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:50:42.03 ID:l3/+b4iCO
南の島でトイレ中に砲撃されて大変だった話が印象的すぎて
戦闘機の整備してたってことと、蛇食った話しか覚えてない



93 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:51:49.53 ID:Pw7HoR890
大学でGEN爆の研究してた
日本も作ろうとしてたらしい



94 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:53:24.06 ID:BV17ekls0
>>93
南会津の方でウラン掘ってたらしいよw




95 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:54:22.46 ID:TdMI3sJOO
俺の爺さんは当時少年で戦争に行ってなかった
呉に住んでて原爆の時キノコ雲もみたらしい
それをみてみんなで話をしてたら広島市街まで行ってみたくなったから行ってみたら地獄絵図
しかし、そこら中が悲惨なのでしばらくすると無傷の人間の方が異常に見えたという
残留放射能で被爆したが、症状は大したこと無く病院では薬やらがタダで貰えるため見返りのほうが大きいと語っている



97 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:54:42.07 ID:FOnMHE2T0
おじいちゃんの兄弟が
零戦の整備やってたかなんかで
沖縄の戦争墓石みたいなのに名前刻んであった



98 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:56:36.84 ID:F+McHtfOO
じいちゃん中国人だから大学辞めさせられたらしい。



102 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 00:59:37.67 ID:7tdf0G/M0
おれのじいちゃん戦地行く前の訓練所で毎日腹一杯メシ食ってた。
戦地は占領した満州で中国人と仲良く楽しく過ごす。
時々敵機が来るけどあー、きたきたみたいな。

頭よかったから大砲関係(弾道計算)の仕事に選ばれて大した怪我なく。
次に沖縄に飛ばされた。その後本島とかはアメリカ軍に焦土化されたけど俺のじいちゃん運良く違う小さな島。
敗戦しても同僚含めてえーマジでーみたいな。

南国でイモ作りながら本土に帰れる船を待つ。
兵士全員農民だったから畑仕事は余裕、アメリカの貨物船で帰ってきて家に
帰ると前より太ってたってよ。

今もボケず電子回路好きな工作じじいです。



107 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 01:09:39.17 ID:2g4g3tc90
ついこないだ親父から聞いた話では
うちの爺様は兵長で重機の射手やってたそうな

俺が生まれる頃にはもう逝っちゃってたから詳しい話は聞きようがない



108 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 01:11:28.45 ID:2cKAYbe50
グァムだったかどっかで中指の第二関節と太ももに被弾したそうだ
中指は少し曲がったままで太ももは弾が入ったままだっていってた

じいちゃんも自分で確認できただけで2人は殺ったらしい



112 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/11(火) 02:18:26.98 ID:taE1R9qGO
中国の最前線でドンパチやってたんだと。隣にいた仲間がやられる状況に何度も遭遇したらしい
足と腰が痛そうだけど今も元気






 おじいちゃんの手作り杓子
 [ 2008/11/11 12:00 ] コメント(133)
うちのじいちゃんなんも言ってくれん
あまり語ろうとはしない
当時満州いてシベリア抑留されたけど生きて帰ってきた
その後は地方官僚になって農政やってたと聞く
寡黙であまり自分から話す人じゃなかった
生前に色々聞けばよかったな
うちの母方の祖父は満洲の方に家持ってた。
いまその家は大使館になってるらしい。
俺の死んだ爺ちゃんは戦後にロシアに捕まって死体処理の仕事してたよ。
「話したがらない」のもまた重いな
うちの祖父ちゃんは台湾に移住してて
徴兵でお呼びがかかって、浙江省に行って戦車とかが通る橋作ったりしてたらしい
俺がガキの時は寝る前によく戦時中の話をしてくれた
童話なんかより最高に面白かった
祖父ちゃんは俺の誇りだ
赤松なんとかという海軍の有名人と飲んだ酒はまずかったと必ず言う。
あと、うちのじいちゃんは天皇に戦時中数回会ったらしい。

と言うか宿題で戦争の話を聞いた時にそれだけしか言わない。
どこで戦っていたとか教えてくれなかった。

今では林業やってるけど当時は偉い人だったのかな?
毎年、3時間ぐらいかけて靖国参拝してるし。
大和の主砲すごかったんだろうなぁ
46センチだろ?
うちのじいさん、背が150なかったので検査で落ちて
飛行機の整備士やってたんだって。
特攻に行く人を送り出すのがつらかったって言ってた
レスで長いのは良いかな?


ウチの爺さん大正生まれ。
馬とか人力で引く大砲部隊の長だったらしい。
でも理由はわからんが現地でライフルをへし折って
降格喰らったとかwwww
でも処分はその程度だったらしいので
よほど功績を上げてたと思われるのよ。
いまだ健在。

その弟、捜索部隊の軍曹、少し前まで生きてた。

んで本題。
爺さんと弟は全く別の時期・場所に召集された訳。
で爺さんがビルマの前線に居た時、行方不明兵を探しに
来た捜索部隊の弟にばったり会ったと。

広い戦場・いつ死んでもおかしくない状況で
血の繋がった人間が偶然合う事があるんだって話してた。
こう思うと運命を信じてみたくなる。

他にも幾つかあるけどこの話は1番すき。
爺ちゃん達のおかげで今の日本があるんだよなあ
乗ってた船が撃沈して海に浮かんでたところを友軍に救助されたという話を聞いた記憶がある
爺さんは戦争に行ってないけど東北の食べてけなかった人が満州に渡って友達はみんな死んでしまったとか言ってたな。
満州ってそんなに地獄だったのかよ…
学校で習ってないから知らなかったよな。
大和の生き残りだったらしい
じいちゃん二人とも全く語らなかった
戦争の話をすると滅茶苦茶不機嫌になった
かなり大変な思いをしたらしい
もっとせがんで聞いておけばよかったと、心から後悔してる
三回徴兵されて、三回とも所属部隊が全滅した。
たまたま病気の治療で帰っていたとかで死なずに済んだ。
そんなわけで、昭和天皇もロシアも朝鮮も大嫌いだった。
学校の宿題で何度も何度もお願いしても拒否した爺さん。
死んだ後の遺品生理で色々分かって某給水部に近い所に所属してて
言いたくてもいえなかったのかなとある意味納得した。
このスレは永久保存されるべき
インドネシアに飛ばされてそこで戦死。階級は伍長。
それしか知らんわ
ロシアの捕虜になって炭鉱?でなにか掘ってる最中に肺に穴が開いて日本へ送還。その時もう手遅れで死んだらしい。
と、うちの親父が自分の伝説のように語ってたからむかついた。
重機の部隊にいたらしい。

機関銃を掃射するときは、1mに3発くらいの間隔で撃つ、
教えてもらった。

多分、これからの人生において役立つとは思えないw
爺さんも役立てて欲しいとは思っていないだろう。

砲兵隊で兵長
中国に行ってた

・退却してる時隣の人に迫撃砲直撃してこっぱみじん
・その人の返り血でケガをしてると思い包帯を巻いていたがかすり傷だけだった
・大阪人で編成した師団で弱かったらしい ヘタリア軍状態
・潜水艦こわいです
大和乗艦。沖縄沖で戦死。
102の爺ちゃんたちの
>>「えーマジでー」

が、オリゼーで再生されたw
どんだけ気楽なんだw
詳しくは知らないが大陸にいて電車の運転士してたらしい
上空を戦闘機が飛んでくときはめっちゃ怖かったとか

宿舎の便所は当然外のボットン便所なんだが、
大便が便器飛び出して盛り上がり積み上がってて更に寒さで凍りつきクソの塔ができていて、
使うたびにツルハシでガッキンガッキンクソの山を削り崩して用を足さなければならなかったそうな

そして宿舎に戻ると飛び散って服に付いたクソの破片が暖かさで溶けだしてめっさ臭かったそうな
狙撃手で南方に行ったけど一発も打つ前に歩兵部隊に出会ってあっさり捕虜にされたwwwwww狙撃手だけど死にたくない一一心で機密情報洗いざらいぶちまけたとかwwwwww
まぁ実際吐いちゃうよね。
じいちゃん足悪くして戦地行けなかった
当時20代前半だった祖父は陸軍の車両部隊(?)でロシア軍との戦いへ。
しかし、運良く一度も戦うことはなかったらしい。
ほぼ毎日訓練だったとか。

その後、シベリア抑留を経験。
ロシア語が話せたためにロシアでも日本でも
初めスパイ扱いされて酷い扱いを受けたらしい。
スパイでないことが分かってからは通訳。
お前らの爺さんを誇りに思うよ
つーか思えよ称えろ
うちの父方じいさんは衛生兵として今のベトナムらへんの後方部隊にいたらしい。行きは3隻の船で出港したが現地到着までに僚船2隻が潜水艦に沈められたらしい。帰りは戦後に舞鶴に帰って来た。
戦中ではないが、母方の曽祖父は鹿児島県の大地主だったらしく、昭和11年の高額納税者番付けに載ってる。その本にはトヨタの創業者も載ってる。ただし、当時の物は写真しかない・・・戦中に売ってしまったか、捨ててしまったみたい。
ひい爺さん、検査でひっかかって戦争へ行けなかった。
そのあとすぐ戦争へ行った、隣家の若い人は亡くなってしまった。
あんたの家の代わりに戦争にとられたって、最近までずっと恨まれてたらしい。
…田舎だとよくある話かも。

島根の片田舎に住んでるが、広島に原爆が投下された日の夜は、
中国山脈の向こうの空が真っ赤になってたって。
投下されたその日の午後には、広島が大変なことになってるって噂になってたらしい。
支那で便衣兵から市民を守ってたらしい
塾長がいたぞww
「右にも左にも死体がある。」

南の島に飛ばされたおじいちゃんの言っていたこと。
>>108
>じいちゃんも自分で確認できただけで2人は殺ったらしい

これってよく考えるとすごい事だよな。
現代の常識じゃ自分の親や親類が人殺したなんて言えないだろjk。。
自分が人殺しの子だなんて考えられないよな。

例えばニュースなんかで取り上げられる殺人犯の家族や親類は精神すり減らして肩身の狭い思いで生きているってのに、
戦争中は国の命令とはいえ(前線に出てたやつらは)人間を殺すのが「仕事」だったんだよな。
だけどそいつらの子孫は現在殺人犯の血だとか全然気にしないで平穏な顔で生きていられる。。。

時代の変化とそれによる思想の変化って怖いよな。
戦争の事語りたがらないじーちゃんたちって、やっぱ子孫に人殺しの子だって思わせたくないからってのもあるんだろうな。

人を殺す、なんて今じゃ映画や小説やニュースの中だけなのに、
いま生きてる俺らのじーちゃん世代では当然のような事だったんだよ。。
不思議じゃね?江戸時代とか遠い昔ならともかく、ほんの数十年前の事だって。
いま目の前に居るうちのじーちゃんが人殺しだなんてよ。

人は悲劇を忘れる傾向にあるらしい。
同じ過ちを犯さない為にも語り継ぐ事が大切、ってわかる気がする。

あ、人を殺す事とか戦争を否定してるんじゃなくて、
言いたいのはたった数十年での時代と思想の変化が劇的すぎてすげーってことな。
なんかうまくまとめられなくてスマソ


>>戦争中は国の命令とはいえ(前線に出てたやつらは)人間を殺すのが「仕事」だったんだよな。
だけどそいつらの子孫は現在殺人犯の血だとか全然気にしないで平穏な顔で生きていられる。。。



凄く癪に障る

戦争という行為自体は過ちでもなんでもないだろ
うちの爺さんも台湾方面だったらしい。
地元住民が親切だったので食糧には困らなかったと言っていたな。
戦争の事は語りたがらなかった爺さん。
たった一つエピソードを聞いた。

ある日、兵士が自殺したらしい。
18歳位の青年だった。
当時、自殺は敵前逃亡扱いだったらしい。
遺族には汚名だけが残されてしまう。
そう考えた爺さんは「戦死だった」と報告した。

でも、自殺であれ若い人を死なせてしまった事を、死ぬまで悔いていた。
「だから戦争の時の話はしなかったのよ」と婆さんに教えてもらった。
そんな爺さんの孫であることを、誇りに思う。
駄文ですまん。
>>戦争中は国の命令とはいえ(前線に出てたやつらは)人間を殺すのが「仕事」だったんだよな。
だけどそいつらの子孫は現在殺人犯の血だとか全然気にしないで平穏な顔で生きていられる。。。


平和すぎて性根まで腐りきった人の書き込みですね、わかります
さっきビルマで爺さんと弟が会った話し書いたけどもう一つな。
あれはまだ第一次世界大戦位らしいが、今度は第二次の後期、
知り合いのおじさんから聞いた話。

おじさんも南方に戦争行ってて、若い兵士引き連れてジャングルの中へ。
でも戦局はもう末期で判る人には終りが見えてたんだね。

でも若い兵士は「国の為」とわれ先に銃弾の飛び交うところに向かおうとするんだけど、おじさんは”今行ってももう勝てない、自分の命を大事にしろ”と全員洞窟に隠れさせて誰一人前線には行かせ無かったそうな。
それでも退却時に何人か散ってしまわれたようだが・・・

当然命令には背いている訳だけど、極限状態で何が大事なのかを考えられるってすごいって思ったよ。

そういう人たちのおかげで今こうやって居られる事は
すごくありがたいと思うよ。

誰も行きたくて行く訳じゃないし、殺したくて殺す訳じゃないと思う。
有名なコピペかもしれないけど、こういう人が殆どだと思う。
最後には何人か殺しているかも知れない。
でもその子孫を殺人者の末裔と呼ぶことは出来ないと思う。
国を護りたいそのためには戦わなくてはいけない、自分の命を道連れにしなくてはいけない。
殺したいわけじゃなかったと思うよ。

**********
著書「知覧特別攻撃隊」より。
遺書
-------------------------------------------------------------------
母を慕いて

母上お元気ですか
永い間本当に有難うございました
我六歳の時より育て下されし母
継母とは言え世の此の種の女にある如き
不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母
有り難い母 尊い母

俺は幸福だった
遂に最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが
何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと

                 相花信夫 少尉 第七十七振武隊
                 昭和二十年五月四日出撃戦死 十八歳

*******
俺のじいちゃんはP-51三機に機銃掃射されたけど、
びっくりして近くの溝に落ちて助かったらしい

今はウイスキー飲んだりしながらパソコンしてます
うちの家系はじいちゃんの代まで大工をやってたので、
ひいじいちゃんは工兵として中国に行ったらしい。
橋を作る仕事をしてたから、
地元の人にすげー感謝されて仲良くなったとか。
飯とか酒とかをかなり奢ってくれたらしい(半強制w)。
中国人とは話せば通じる、
尊敬の心を持ったヤツらだと言ってた。
しかしチョンは絶対に信用するなと言ってたw
でも半島出身でも立派な軍人も結構いたんだぜ。
特攻で散った人も居たし。
今の韓国人がおかしいんだよ
俺のところは分からんな。俺が生まれる前に逝っちまったし

路面電車の運転手してたらしいが、参戦したか否かが不明
こんなみんなのじいちゃんを残酷で鬼畜な日本軍だと言ってこけ降ろす連中がいるのはやっぱり許せないな
父方の祖父が皇居を守る近衛兵で、前線には出なかったらしい。
俺が小さい頃に亡くなって、その時に聞いただけだからよく覚えてないけど。
うちのじいさんは、父方は特攻に行く寸前で終戦、
母方も海軍予科練→警察予備隊→陸自→空自で
最終階級は1佐まで行った。写真を見たら両方とも
かっこよかったなあ・・・ちなみに俺は現在空自。
ある意味跡を継いでいる。
米7825
それはまた別問題だろう。
爺さん飛行機に乗って写真撮ってたとか言ってたけど、何の役職だったんだろ?
俺のじいちゃんは漁師やってて
16歳のときに漁船についてた金属的なモノに足を切断されたから徴兵免除されたらしい
もうすぐ戦争を経験してない世代にとって代わるんだな
いまのうちにもっと話を聞いておこう
俺のひいじいちゃんは東京大空襲の時に、炎に焼かれ皆が逃げ惑う中でたった一人家の屋根によじ登り、

「やれるもんならやってみろ!!」

と仁王立ち。

祖母が疎開先から帰ってみると、周りの家は全部焼けてるのに、なぜか不自然に無事な家があって、それが自分の家だと気づいてびっくりしたそうな。ひいじいちゃん格好良すぎる
紙は来たけど行く前に戦争が終わったらしい
運いいよなあ
なんというじいさんww
無謀すぎだろw
うちの爺ちゃんは主家が西軍に味方したから改易になって
浪人になった。
うちのじいちゃんは聞かなくても戦争の話を聞かせてくれた。
階級は兵長だったかな?北方領土の小さな島の防衛を担当してたらしいけど部隊の異動があって別の島に行った数日後にその島に入った部隊が全滅したって聞いた。あと、船で移動してた時に敵に見つかって命かながら逃げたり、機関銃の射手担当だったらしいけど下手すぎて怒られたりしてたらしい。
天皇陛下からもらった銀杯も大切に保管してるし当時の新聞のスクラップも見せてくれた。ただ、シベリアに行ってた時の事は聞かせてもらったことがないな。やっぱりいやな思い出しかないからかな?
そんな爺さんはもうすぐ90歳。今も元気に畑を耕しています。尊敬してるし大好きだからもっと長生きして欲しいな・・・・・・
詳しい話はもういないから聞けないけど、
海軍で戦艦に乗っていて、僚艦は全部撃沈されてじいちゃんの乗っていたのだけ生き残ったらしい
あと帰ってきたときはシラミがひどくてふとんを釜で茹でたそうだ
ウチのじいちゃんは自分の隣どころか後ろにいるやつまでが
撃たれて死んでんのに、何故か自分にだけは当たらなかったとか
腸が弱くて腹を下しがちだったんだが、腹が痛くなって
船に乗り損ねたらその船が沈み、次の船に乗った自分は無事とかw
ラッキーマンかよと思えるほど悪運強すぎwww
医療兵内地消毒用アルコールうまー
満州に行ってて終戦後はシベリアで何かやってたらしい。
ここでよく言われてる「拘留」「捕虜」だと思う。クソ寒かったらしいよ。
戦中どういう風に戦ったのかとかは絶対に教えてくれない。
俺の爺ちゃんはルソン島に言ってて助かった。
by沖縄県民
じいちゃん代わりだった親戚の話だけど、終戦後も日本側の守備隊の降伏に応じなかったソ連軍と戦ってたらしい
捕虜になってシベリアに送られたんだが帰ってきた時にはソ連のスパイと疑われてずいぶん取り調べられたとか
時代の流れだったんだろうが、大陸から引き揚げる民間人守るために戦ってたのにあんまりな扱いだろ・・・
父方の祖父は、兵役に向いてないということで兵隊にはならなかったけど、空襲後の死体片付けは本当に地獄だった、っていってた。母方の祖父は計算系?(前線じゃないと思う)の役職で、フィリピンのほうに。飢えすぎて赤犬食った。現地人が逃げて残したバナナ倉庫を見つけたときは、かなり幸せだったが、アメリカ兵に見つかることも怖かった。って言ってた。

満州に連行されて、そのあと復員。婆ちゃんとお見合い結婚→母たんじょーwwビジネスがうまくいって、会社設立。今は隠居の身だけど、戦争体験を本にして自費出版(希望者のみに配布)フィリピンの慰霊碑に数年前まで、毎年慰霊にいってた。

山中を逃げ回ってる間に飢えて、何人も死んでいって、自分も、もうおいていってくれ。っていったのに、両肩かついで支えてくれた兵隊さんがいたらしくて、今でも探してる。孫として、どうにかしたいけど、どうすればいいのか、わからない…(´д`ノ)ノ
この手のスレに何回か書き込んでるが…

オレの爺様は海軍のパイロットで、真珠湾にも行ったらしい。
んでミッドウェイで米軍機の機銃を受け、片足を失って帰って来たんだが…
その時自分を銃撃した米軍機に描かれていた浦安ネズミの絵を見て、全てを悟ったそうだ。
「こっちは食う物もロクに無い中で戦ってるのに、向こうは機体に絵を描いて遊んでる。…ダメだ。最初から勝てる相手じゃなかったんだ」
元々江田島を首席に近い成績で出ていたので、将来は軍令部(…でいいの?)入りも確実視されてたんだが、この件で日本の将来に見切りをつけたらしく、出世コースを自らドロップアウト。そのまま終戦まで、霞ヶ浦の特攻隊基地で教官を務めたそうな。
(ちなみにその時の隊員に、二代目御老公こと故・西村晃氏がいたらしい)

その爺様、終戦後は大阪に帰って羊毛商を始めたんだが、息子が一度冗談で「自衛隊入ろかな」と言った所、鬼の形相で息子をシバき倒したそうな。親父からオレに続く中道左派の原点は、どうやら爺様だったようです。
軍馬の蹄鉄職人だったらしい
こういった命がけで戦った人たちを糾弾する日教組は滅びるべき
うちの爺さんシベリアから生還
父方の爺ちゃんはビルマで衛生兵だったが前線にも出たらしい。
母方の爺ちゃんはシベリアに行き、向こうで捕虜になってしばらく抑留されていた。ある日、朝起きたら隣の捕虜が凍死していたと良く聞かされていた。
どっちの爺ちゃんも下手したら死んでいたんだから、自分らの存在も結構危うかったんだよなあ。
あと数年から数十年もしたら戦争を体験した人がいなくなるのか・・・
うちのじいちゃんは獣医だったから、戦争とか行かなくて済んだらしい。簡単になれるもんじゃなくて、勉強もそうだが金も大変だったらしいけど。
軍馬の治療とかそれ以外に死んだ動物の処理とかをする仕事をしてたらしい。犬や猫も食ったことあるって言ってた。
そして何が恐ろしいって、もし獣医になれなかったら、戦艦大和の船員になるつもりだったらしい。…あわわ。
俺のじいさんは零戦に乗ってたらしい。特攻ではなく
90になった今でも地元で猟銃ぶっぱなしてますww

隣のオジサンは陸軍の参謀で戦後は三菱重工業の部長だったとか
本をかなり出版してて、その筋では有名
半年前に亡くなりました
俺が生まれた時点でじいさんばあさん全滅の
俺に謝れ
母方の爺様は赤紙届く一ヶ月前に戦争が終わったとか言っていた。
父方の爺様は、俺が物心付いた頃にはボケて寝たきりになっていたのだが、親父から「自衛隊にだけは絶対になるなと言っていた。」と聞いた。恐らく、戦地で大変な思いをしたのだと思う。
これは良スレ
ウチの爺様もあんまり話したがらないなあ。
婆様は頭の上を零戦が飛んでいくのを畑で伏せながら見たことを話してくれた
生々しかったなあ
15年前ぐらいに死んだ母方のじいちゃんは
まんしゅーで軍曹だったか曹長だったかで
国からメダルと賞状みたいの貰ってたな
20年ぐらい前に見せてもらった
遺品の軍刀もあった

5年前に死んだじいちゃんは
高射砲の射手だった
戦後はベース(米軍基地)に勤めてた
すんでる町で一番早くテレビ買ったって
俺が子供の頃じいちゃんが楽しそうに話してた
うちのじいちゃんは
子供の頃農耕馬の餌をきざんでて人差し指をきりおとしてしまったので
なかなか召集されなかった
召集されたけど銃が撃てないので
千葉の高射砲部隊でまた馬の世話。
徴用された競走馬は気が荒いので嫌な上官が振り落とされるのを見て笑ったり
爆撃に備えて穴を掘ったりしたけども
いざ空襲になったら高射砲部隊は
「どうせ届く高度じゃない」ので撃たず反撃もされず
帰ってきた。
スレやらコメやらみてると、
本当生き残った人たちは運や偶然という感じだな

そりゃあ俺らと違ってじいちゃんたちは強いわ
いろんなものを背負って、悔やんで、誇りに思って生きてるんだから
学ぶものは多いな
母方のじーちゃん白内障で全盲だったから行けれんかった。
どこどこで隣の誰々が死んだってだのって何度も聞いて
見えないながらも手探りで包丁探して心臓突いたんだと。
やっぱ悔しかったんだろうね。征けない自分が。

あと飯はレンガって呼ばれるブロックみたいなすいとん汁が
記憶に残ってたらしい。

終戦後は、鍼灸師になってツボ新たに300とか見つけたり
厚生労働大臣賞もらったりして4年前に友人達のもとへ逝ったよ。
弔問に400人以上来てくれて生きてたからこそ残せたものもあったと思う。
じいちゃんは海軍だったが結核うつされて臨終状態で家に帰ってきたが
根性で蘇生して軍に戻ったらすぐ終戦
父方のじいちゃんはシベリアへ。
母方のじいちゃんは広島の爆心地にいた。

母方のじいちゃんの話は特に衝撃的だったな。
本当に地獄としか言えない状況で、何日もそこに
いると人を見て「この人は今日死ぬな」ってのが
わかるようになったらしい。

一番衝撃的なのは爆心地にいたのに無傷で、
その場で作業を続けたのにまったく影響を受けずに
今でも元気にしてるじーちゃん本人なんだけどな。
じいちゃんが海で泳いで帰ってくると皆が泣いていた

じいちゃん「どうしただ?」

ひいばあちゃん「日本が負けただよ・・・」

じいちゃん「(゚Д゚)ハァ?」

父方のお爺さんが確か海軍の整備士だったな。新潟で。
親父からの又聞きだけど、コルセアの空襲に遭ったとはいってたけな
戦争の話をするじじいって ケンカ自慢を孫に話してるってことだぞ

つまりどんだけ勇敢な話だろうとお前らのじいちゃんは
今でいうDQNだろ

うちのじいちゃんも話すんだけどなwwwwwww
おじいちゃんは体が小さかったから洗濯係だった。
人を一人も殺すことなく戦場から帰ってきた 大好き
うちの祖父は流星に乗っていたらしい。
足に弾痕があったよ。敵の戦闘機に撃たれたとか。
じいちゃんは飛行機の整備兵だった
戦争末期になると特攻が始まったけど、当時普通に出撃してもほとんど生還は不可能だった事、素人パイロットの爆撃なんて命中率が0%だった事からそこそこ合理的な作戦であるってことはみんな内心ではわかってた
特攻兵は「お国のため」じゃなくて「自分が敵を倒せば家族や恋人が死ななくてすむ」って言って死んだ
飛行機の整備は絶対成功することを祈ってやってたけど、ほとんどは戦闘機に落とされていたので成功すればほんとに万々歳だったらしい
うちのじいちゃんは中学のとき徴兵される前の訓練生みたいなのやってるときに終戦って聞いたことがある
うちのじっちゃん戦争中山奥に逃げ続けて出兵しなかったって笑っていってたんだが
マジなんだろうか・・・今となってはもう聞けないけど
料理人だったじいちゃん。
軍の訓練所で、食事が上官の方が量が多いことに腹を立て、給仕に文句を言ったところ
「こんな少ない食料でどうやってこの人数分作るんだよ!」と言われたため、翌日から給仕係に。
実戦のことは何一つ語ってくれなかったが、死ぬちょっと前に
「人はなぁ、ほんとうに、最低だ」と言ったので
「なんで?」と聞き返すと
「まずい」とぽつりと言ったのを覚えている。
複雑ってレベルじゃねぇ。
海軍兵士として戦艦に乗っていた父方の爺さん。
その戦艦が沈められて意識不明のまま半日ほど海を漂っていたら近くを通りかかった小さい漁船に拾われたそうな。
ちなみに爺さんいわく大和や武蔵というのは本来軍の重要機密で、その存在を国民にも知られてはいけなかったらしい。
ところが国民には存在はおろか停泊場所まで知られていた。
理由は単純。でかすぎて隠しきれてなかったから。
みんなのじいちゃんすげぇなぁ。俺も生前に色々聞いておけばよかったわぁ。

今曽祖父の軍隊手帳見たけど、階級は伍長だったっぽい・・・

ギロロwwwww
うちのじいちゃんは関東軍の鉱物科で、中国でウラン掘ってた。
つい20年くらい前まで秘密にしてたらしい。でもアメリカ軍は開発しないっていう情報が入って採掘を中止したらしい。
父方の祖父は南方に出征、シンガポールでマラリアにかかり点滴を打たれるまで衰弱したが、その後回復し終戦時はアンダマン諸島にいたらしい。父からの又聞きに曰く「どうでもいい所だから連合軍から放っておかれ、おかげで助かった」
その弟さんは44年末にインパールで戦病死。陸軍伍長。

母方の祖父は建設省の役人だったため徴兵免除で(母の話では曽祖父が赤羽のそこそこ大きな乾物問屋で、代人料を払って見逃してもらったとも)その後疎開を兼ねて千葉県庁に天下り。ちなみに曽祖父はいろいろと凄い人物で終戦後も進駐軍と商売をして儲けていたらしいが、この人のおかげで母の家は戦後の食糧難の時期もあまりひもじい思いをしなくて済んだらしい。

ちなみに母方の親戚には戦時中、日赤の看護婦として病院船「高砂丸」に乗り組んでいたという人がいる。
うちの父方の爺ちゃんの話。
今ではすっかりボケてきているが、戦争のときの話をする時だけは口調もしっかり、まるで昨日のことのように話す。
目が悪かったので兵役検査のときは丙種合格。学校の成績がよかったので衛生兵になった。満州にいたが前線にはいなかったらしい。
そんな爺さんは終戦後シベリア送りに。
爺さんは
「収容所まで歩かされた。途中暖を取るために薪を集めていたらロシア兵に暴動と勘違いされた」
「木材を運ぶ仕事をしていた」
「オーロラを見た」
「飯は一日合わせて茶碗一杯くらいしかなかったから草を食べていた」
「字がわからないやつに字の読み方を教えていた」
「会ったロシア兵はろくにかけ算もできないやつばかりだった」
二年いたらしいが良く帰ってこれたと思う。
帰ってこれなかったら自分は存在してなかった。
なかなか話したがらないってのは人に言えないくらい嫌な思いもしたし、嫌なこともしたんだろうな。戦争とはいえ、人を殺したことはあんまり話せるもんじゃない。

ちなみにうちは、父方の祖父は大陸にいったが、後方支援だったおかげで生還できたらしい。戦後進駐軍が刀狩りにきたとき隠しておいた軍刀が今でもある(錆まくってるがw)。
母方の祖父は出征したくて仕方がなかったが体が弱くて徴兵されんかったらしい。で、出征した友人はみんな死んだって・・・弟も特攻で逝ったらしい。
だからこそ今の平和を守っていきたいってなことを言ってた。
子孫が無事で何よりだ
聞くと怒られる。

そりゃまぁ、人を殺した話だもんな。
もっと聞いておけばよかったな
あんまりきいたことないけど、
少年時代に家族全員が自分一人おいて勝手に新潟に行ってしまって、そのときは捨てられたとはわからずに一人懸命に追いかけたらしい。

そのときいたのが函館だったらしいから海渡ってきたんだなーと感心。
そのため俺の地元は新潟。
祖父が南方で砲兵隊の隊長をしていたらしい

もう居ないから詳しい事は判らないけど
一つだけ強烈に覚えているじいちゃんの戦争体験談
「綺麗な水には敵が毒を入れていたから、ボウフラの沸いた水を靴下で濾して飲んだ」

らしい。大変だったんだなぁ・・・

爺さんが学生の頃に体術の項目の先生が嫌いで仲間とつるんでサボったらその先生がわざわざ「二度と来るな」と言いにきたもんだから、その後の授業に一切出なかったら度胸があってよろしいって「優」(一番言い判定だとか)がついてそれのおかげで前線には出ない地位まで上り詰めたとか何とか何回も自慢されたなぁ。
うちのひいじいちゃんは階級は分からんが
赤紙を出す立場にいたらしい
沖縄にはじいちゃんがとても少なく日本の年齢別人口分布を見ると80歳代のじーちゃんは日本一少ない。道を歩いてもどこを見ても人に聞いても じーちゃんが見当たらない。殆ど戦死したのだ。 
うちの母方のじいちゃんはビルマ。大砲の玉に当たったらしいけど元気だった。
父方は戦場に行くのが嫌で勉強して幹部候補になって国内に留まったとか。
残念なのは戦史に興味持った頃にはもうどっちも他界してて、本人から詳しい話を聞けないこと。
今も写真持って大事にしてる。
私の母方の祖父は教師だったと聞いている。
戦時中はフィリピンで教師だったと聞いたが、いつごろに日本へ戻ったとか具体的な話は聞いていない。
戦後も教員していたらしいが、沢山いた兄弟(何人か忘れたがたぶん8人くらい)のほとんどが戦死したと・・・。
実家に遺影が飾ってあった・・・。
ちなみに母から聞いた話である。
え、父方の祖父?
あんな基地外爺のことなど聞きたくもない・・・。
父方母方低学年で出兵はしてないが母方の方は長崎で原爆被害に遭ってた。
話は違うが高校の先生に元海軍士官がいた。真珠湾攻撃が初陣だったと聞いている…
あんまり俺のじっさんは語らないな
俺が聞いてもうつむいちゃうだけだし
辛かったんだろうなぁ
父方の爺さんは衛生兵として満州に行った。
上官の軍医とすげー仲良くなって、色々食糧とか便宜を図ってもらえたらしく、何十年も「今の自分があるのは軍医殿のおかげだ」と言ってた。
戦後は一念発起して銀行おこして、勲章を二回もらったよ。

母方の爺さんは旧帝卒のぼんぼんだったので、徴兵されても戦争に行かなくてすんだ。
食糧倉庫の主計主査として働いてたらしい。
おかげで食い物には困らなかったそうな。
俺のじいちゃんは満州の騎兵だったがその後砲兵になってた。

ゴー宣の戦争論に出てくる砲兵戦の独壇場って場面に参加

えらい盛り上がりだったらしい。

最後は少尉らしい。
徴兵で戦場に行った部隊だったんで誰も死ぬ間際に「天皇陛下万歳!」なんて言わなかった。
突然何も言わずにバッタリ倒れるか「とおちゃん、かあちゃん」って言って死んでいった。
うちのじいちゃんはインパール作戦に行軍してたらしい
家に勲7等の賞状がある
うちの爺さんは船員を職業としてて、大阪と満州ルートの客船に乗務してた話を聞いた。軍票もらったからその土地にも行ったんだろうけど、kwsk聞いてない。
父方は海軍の兵学校にいて戦争にはいかなかったらしい
原爆は見たとか?
その後海自でえらくなったとか
母方も大学生だったが結核で戦争にはいかず
母方の爺さんは今でも元気です
母から聞いたところによると、俺の祖先は吉良邸に乗り込んで主君の仇を討ったらしい。
この手のスレって必ず特攻直前で助かったっていう方がでてくるよね
母方のじっさんは徴兵されたが、理系が得意だったため弾道計算などしていたらしい。
父方のじっさんは朝鮮へ渡り国境警備隊をしていた。戦争は終了したのに、ロシアは攻めてくるは、朝鮮人は暴徒と化すはで命からがら帰国。
ガキのころから、ロシアと朝鮮人の蛮行について聞かされてきたので、彼らを生理的に受け付けられない。
最近では、改めてやっぱり真実だったと確認しているが
>>米7934
そのまま特攻に出撃した人は孫どころか息子すら残せてないからだろう。
母方のじいちゃんは中国で通信技師してたみたい。シベリアから帰ってきたよ。アルツハイマーでもうしゃべれない。
父方のじいちゃんは戦艦武蔵で艦内放送担当してたみたい。他の事はしゃべりたがらない。今は病気だけどビール飲んだりゲートボールしたりして元気にしてる。90近いのに飲んでバイクをノーヘルで運転するのは勘弁w長生きしてくれ。
自分はずいぶん遅くにできたから親父が満州帰りなんだ
航空隊だったけど運良く暇なところに行けたみたいで
夜中に野原に水まいて朝になったらスケートしたり
「小姐」って声かけると女にもてたとか、くだらねぇことばっか言ってたな
当時の飛行帽とかあったのにオカンが親父の葬式のとき
捨てちまったよ
たまに海の向こうに兄弟がいるんじゃないかと不安になるw
うちの母方のおじいちゃんはソ連に行ってたけど捕虜にはならずに帰ってきた。軍から支給された、一枚で10畳くらいある大きな毛布を持ち帰ってきてくれて、しばらくはその毛布一枚で、家族全員、一緒に寝てたって話を聞いた。
ひいおじいちゃんは大正生まれで、生涯で二度も戦争を体験(出兵)して二度とも生還したって話も聞いた。性格は、とても豪気な人だったらしい。
軍医だった方は上海攻略に参加したって言ってたな。
人海戦術でくるから撃っても撃っても人間が沸いてくる感じだったらしい。
最後は大和に乗るところだったがコレラにかかって行かずにすんだそうな。
所属が違うような気もするんだがあるのかね?
米7931
うちの祖先はその主君に切腹を勤めさせたらしい。
こうやって語ることも語られる事も無く散っていった人は星の数ほどいるんだよな。
しかも俺らと同い年とかもっと若い奴とか。

今を大事に生きないとな。

うちのじいちゃん、沖縄県民。
終戦一週間前ぐらいに、艦砲射撃くらって亡くなったらしい。
防空壕に隠れてたけど、隣の豪に食い物取りに行ったときに、そこに直撃だって・・・動かなかったら生きてたかもしれないなあって、親父がしみじみ語ってたよ。
どんな偶然で生死が分かれるか、わからんもんだね。
母方の爺ちゃんは年齢が低かったので徴兵されなかった。
父方は死ぬ半年前に色々教えてくれた。
陸軍で大陸にいって、中国人同士がやり合ってるのを鼻くそほじりつつ眺めていたそうだ。
んで、夜に珍しくどっちかが攻撃してきたときに手榴弾の破片が膝に当たって帰国、その後は青森で終戦まで教官をやっていたそうだ。
父方の祖父は攻撃を終えて日本へ戻る時に船が狙われてそのままだそうな
母方の祖父はまだ少年だったから行かなんだまだぴんぴんしてる
俺のじいちゃんは戦場には行かなかったらしいがどっかの
基地で色々やってたと聞いた。
体力があって知識が豊富でリーダーシップもある。
そんなじーちゃんだけど、徴兵されなかった。
というか、されたけど外された。
理由は『痔』だったから。
嘘のようで本当の話。
母方の祖父は、近衛兵で、天皇を守っていたらしい。
結局戦場に出ることは無く終戦。
後は頑固な大工として過ごしたそうな。

父方の祖父に関しては聞いたことが無い。
全く関係ない話によると、竹中半兵衛が祖先だそうだが……?
俺のじーちゃんは戦争に向かう船に乗り遅れて、
戦争に行けなかったらしい。
その後その船に乗ったものは、全員死んだそうだ・・・
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